P4-その2 ひろがる海外派遣
わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、
武器を持ってよその国にでかけるようになります。
世界の平和を守るため、
戦争で困っている人びとを助けるため、と言って。

・冷戦の終結
1989年12月、米ソ首脳がマルタ島で会談し、44年続いた冷戦の終結を宣言しました。この2年後にソ連は解体します。
唯一の超大国となったアメリカは世界戦略を大きく変え、地球規模で米軍の再編を始めます。そして、当時経済大国となっていた日本に対して、アジア・太平洋地域、さらには中東での軍事的な役割分担と経済的負担を強く求めるようになります。
・自衛隊の海外派遣
機雷掃海―はじめての海外派遣
1990年8月、イラクがクウェートに侵攻し、占領・併合。これに対する国連安保理決議を得て、アメリカが主導する多国籍軍が翌1991年1月にイラクを空爆し、湾岸戦争が始まりました。圧倒的な攻撃を受けたイラクがクウェートから撤退し、3か月足らずで戦争は終結しました。
戦争終結後、日本は自衛隊をペルシャ湾に派遣し、機雷掃海③を行います。
これ
が自衛隊の初めての海外派遣となりました。
1992年には「国際平和のために」として国際平和協力法(PKO協力法)がつくられます。
この法律では、PKO参加5原則を条件に、国連PKO活動や人道的な国際救援活動、選挙監視活動を行うために自衛隊を派遣することを定めました。

自衛隊はPKO協力法に基づき、初めてカンボジアでの国連PKO活動に参加しました(1992年)。
このあと、1993年モザンビーク、1994年ルワンダ、1996年ゴラン高原と、世界の各地に派遣されるようになります。
国際平和協力法の成立と同時に「国際緊急援助隊派遣法」も改正され、海外で大規模な災害が起きたときに救援活動を行う国際緊急援助隊に自衛隊が参加できるようになりました。
1990年代後半から、世界各地でハリケーンや大地震などの大災害や大事故が起きたときに、自衛隊も国際緊急援助隊の一部として救援に駆けつけています。
戦争の「後方地域支援」
2001年9月11日に同時テロ事件が起きると、アメリカは個別的自衛権を発動してアフガニスタンを攻撃し、NATOも集団的自衛権で参戦しました(アフガニスタン戦争)。その支援のためにテロ特措法がつくられ、自衛隊はインド洋北西部でアメリカをはじめとする各国の軍艦に給油活動を行いました⑤。
「復興支援」
さらにアメリカは、有志連合軍を率いて2003年3月にイラク戦争を始め、日本はそれを支持しました。
フセイン政権崩壊後、日本は「イラクの復興を助けるために」としてイラク復興支援特措法をつくり、2003年末から航空自衛隊をクウェートに、2004年から陸上自衛隊をイラクのサマワに派遣しました⑥。
航空自衛隊は物資や米兵などのバグダッド空港への輸送を、陸上自衛隊はサマワで医療、給水、施設の復旧工事などを行いました。
バグダッドはじめイラク各地で熾烈な戦闘が続いているさなかのことでした。

<ここまでの参考文献>
○「湾岸の夜明け」作戦に掃海部隊派遣 (「海上自衛隊50年史」から抜粋)
○酒井啓子『イラクとアメリカ』岩波新書 2002年
○酒井啓子『イラク 戦争と占領』岩波新書 2004年
○松尾高志『同盟変革ー日米軍事態勢の近未来』日本評論社 2007年
○前田哲男『自衛隊―変容のゆくえ』岩波新書 2007年
○半田滋『「戦地」派遣―変わる自衛隊』岩波新書 2009年