作家・彦坂諦さんより書評をいただきました

このような本がまさにこのいま必要なのです。

このような本を読ませたい、こどもからおとなにいたるまでのおおぜいのひとびとに。

 

この本は読者をえらばない。

だれが手にとっても、そのひとなりに読み、そのひとなりに理解することができる。

どのようにも読むことができる。

てびきはある、こんなふうに読んでほしいというねがいをこめた。

しかし、あくまで、読むひとの自由にゆだねている。

 

「本文にはいっさい手を加えないことにしました」と書いてあります。

深い意味がここにはありますね。

本文は必要にして十分なのです。

読めば読むほどそう感じます。

これほど簡潔な、これほどことの核心を衝く文章と

それにぴったりの絵とがくみあわせてあれば、

それだけで、もう、戦争とはなにかがわかります。

「『平和』の反対語は「戦争」じゃなくて「ペテン」だとわかります」。

 

この本文に書かれていることをもっと深く知りたいひとたちのために

つけられている「資料」が、こにくらしいほど適切で過不足ない。

あのヘンチクリンな法令の文章も、こんなふうにアレンジすると、

ヘンな言いかたかもしれないけど、生きてくる。

「その法律と関わりのあるだれかになったつもりで読んでみると、

意外に読みやすくなったりもします」というステキな案内もある。

「つもり」になることのおもしろさとたいせつさとをすうっとわからせる。

 

「等」「その他」「○○を除く」には「ときどき思いがけないものが

隠されていることがあるので」といった読みかたガイドも絶妙です。

 

「年表」に感嘆。

じつは、わたし自身、かつての「ガダルカナル戦」に関して、

中央司令部(大本営)と現地司令部(軍あるいは師団司令部)と現場

との乖離が一目瞭然になるようにしくんだ「年表」をつくったことが

ありました。

「年表」をなぜつくるのか?

そこからなにを読みとってもらいたいのか?

そういったことに無関心な年表ばかりがあふれているなかで、

この「年表」は卓抜です。

「時間軸」にそって左右を見くらべるという作業そのものが、

じつは、そのことについてより深く考えるという行為になりうるのだという

示唆がここにはひそんでいます。

 

ほめてばかりいるようですが、ほんとに、感心しているのです。

書き手としても読み手としても、わくわくさせられる本です。

 

 

                            書評 彦坂諦(作家)

                            2014年9月14日